私にとって本を読むとは?
皆さんこんにちは、スーパーお久しぶりです。勝手気ままな3日坊主のMAIKOです。
はてさて、オーストラリアメルボルンは絶賛二回目のロックダウン中です。
どうやらオーストラリアは徹底的なコロナの押さえ込みにかかってきました。すごい一年になりましたね☔️
さて突然ですが、本を読むとは一体なんなのか?
一年前に日本の本がどーしても読みたくてこっちでAmazon Kindle本を買っていました。
ただその時に機械音痴の私はオーストラリアのアマゾンで登録してしまい、そのまま日本の本が買えなくなるという失態を犯したのです。日本語の本読めないじゃーん!!ガーン
そのまま本棚の肥やしになる私のKindle、、もうこのままネットで売ってしまおうかと思っていた矢先に、なんとも心優しいお方が日本のアマゾンのつなぎ方を教えてくれて今では日本の本が読めるというなんとも最高のひとときを手に入れました。
今は中田あっちゃんがYOUTUBE大学でやっていた半沢直樹を読んでいます。
紙の本で育った私はやはり物足りなさは感じますが、日本の家族に買って送ってもらうというめんどくささがなくなったのはいいかな。
ただ、読みたい本がなくてなんとなく本を探しに本屋に立ち寄る、図書館に行くという楽しみがなくなったのもとても悲しい😩日本に帰る楽しみの一つに本屋に行くというのがあるので、本屋さんには絶対潰れて欲しくないな。
しかーし!!Kindle本小説なんかを読む時最初に好きな本を何冊かピックアップしておくとあなたにお勧めと言ってAIが選んでくれますよね。もちろんいい時もあるし、そんな気分じゃない時は違うんだよなーなんて思ったり。
今では海外に住んでいてもインターネットでなんでも繋がる時代になったなー。
10年前では考えられないようなスピードの速さだ!
で、今メルボルンは絶賛ロックダウン中で英語を伸ばそうと英語の勉強をしたり、英語の本を読んだりするものの、どうしても英語の本にのめり込めず、小説もいつも挫折、挫折、挫折、挫折のくる返し。しまいにゃ英語の本を読むと眠くなる始末でございます。あちゃー
英語だから、わからない単語があるから、文法がわからないからと自分に言い訳つけまくってるけど、今回のロックダウンで英語の小説をいったんおやすみして、日本の小説をまた読んで新しい発見がありました。
それは言葉の持つ温度。
私は日本語が第一言語で29年間日本で育ち日本語の環境で生きてきて、日本語の表現や言葉使い、平仮名、漢字、カタカナが持つ不思議なアルファベットの温度感を感じてきたから、小説とか言葉を文字に起こすということ、本を書くこと、お話を作ること、人に伝えること、言葉というものの温度、言葉は生きているということを、知らず知らずに感じてきたんだと思いました。
同じ愛してるでも、漢字の『愛してる』平仮名の『あいしてる』カタカナの『アイシテル』
なんだか違う印象を受けませんか?私だけ?😱
この言葉トリックが本当に面白いなとおもました。
もちろん英語にしてもそうなんでしょうね。スタンドアップコメディーという笑いがありますがあれも英語の些細な言い方や言い回しで笑いも滑るのも紙一重。ただ言ってる英語の意味を訳すだけでなくその真意がわかるから面白いんですよね。
そこまでいきたいねー
少し脱線しましたが、本を読むということは知識をインプットすることと同時に本の言葉の感情を受け取るという一種のコミュニケーションなんだなと改めて思いました。
日本の文豪さんの本もどんどんこれから読んでいきたいな。
言葉も人も時代によってまた全然違う価値観を持つ。今は当たり前でも昔は全然違う、その違いを楽しむのもまたひとつだよね。
メルボルンは春真っ只中暖かい日もあれば風が強くて寒い日もある安定しない毎日🌸。心はなんだかソワソワしてしまう日もあるけど本の世界に飛び込むのもまたそれもよし、ロマンチックな水曜日の午後、さて今日はなんの小説を読もうかな。
では、皆さん素敵な午後を!!☕️